ONTHERO 旅ブログ

人生とは自分にしか書けない物語を日々紡ぐこと

Road out 200330

僕は加トちゃん派だった。

 

加トちゃんの「ちょっとだけよ~👴」とか「どーもすんずれい致しました👮」などをマネして、新しいクラスに溶け込んだりしていた、そんな「転校生」だった。僕にとって、ドリフといえば加トちゃんで、後から入ってきてどんどん人気者になっていくシムラを(当時僕らの仲間内でもシムラは新入り扱いだったので、親しみ半分、後輩扱い半分で「シムラ」と呼んでいた。(堀江貴文が偉そうに志村けんの事を「彼」などと呼ぶが、それとは根本的に違う       ×)僕らにとってドリフとは、半分家族のような存在だったのだ  ○)、加トちゃん派の僕は、少し苦々しい、(嫌い、とは違うんだけど、ちょっと悔しいみたいな😁)そんな複雑な心境で見ていたものだった。

だけど笑っていた。

 

やがてシムラはドリフの中で誰が見ても人気No.1の存在となり、前半(😁)のコントもシムラを中心に作られるようになっていった。

 

悔しいけど仕方なかった。

なぜかと言えば。

 

シムラは加トちゃんより圧倒的に面白かったのである。

加トちゃん派の僕も否応なしに笑わせられていた。

 

そして中学生になろうかという頃になって、僕はドリフそのものをあまり見なくなっていったが...。

シムラはその後も(皆さんご存知のように)、みんなを笑わせ続け、いつのまにか「シムラ」ではなく「志村けんの...」と冠のつく存在になっていった...。

 

 

そんなシムラが死んだ。

しかもコロナなんかで。

 

衝撃だった。

 

僕は密かに予想していた。

退院して一発目のセリフは絶対、

「だいじょーぶだぁ」だと。

シムラは子供の期待を裏切らない。

予想通りのオチで必ず笑わせてくれる。

それがシムラであり、ドリフだ。

 

 

今日仕事の途中、車を走らせていると、

不意に志村けんさんの昔のコントや、バカ殿の顔が浮かんできて。

気がつけば。

 

笑いながら泣いていた。

 

 

笑いながら泣いた記憶があまりない...。

 

僕はもしかすると、実はシムラ派だったのかもしれないと、

 

...その時思っていた。

 

 

 

最後に。

 

(もう遅いが)

 

シムラーー❗

 

うしろーうしろーー❗

 

 

合掌。

 

 

そして、ただただ。